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 そうだ、僕たちの歩む道は、もうとっくの昔に別たれていて、きっともう二度と交わることはなかった。
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08.16 (Thu) 15:58 [ 動画 ] CM0. TB0. TOP▲


友と共に過ごした日々の記憶。
明日の未来を気にすることなく、ただ生きることができた時間。
思いは儚く消えるとしても、かつてともに生きた事実は、決して消えることなく。
08.14 (Tue) 23:29 [ 動画 ] CM0. TB0. TOP▲
人付き合いはおおむね下手糞だ。
今の人間関係もあまり良好とはいえないかもしれない。
糠喜びと自己嫌悪の繰り返しの中で、時に誰かを憎み、目の前にある世界すべてを罵り、何よりそれらを感じている自分自身を殺してしまいたくなる。

でも最低な今がずっと続くとは思いたくはない。
だからその確証を探す。
孤独ではない確証を。
誰かとともにあり、喜びや悲しみを感じ、あるいは無意識に神秘的な、神の存在のような何かを感じ、そこにあるいは慈悲を求め、すべてが満たされたと思える瞬間を探す。

ある時、ある場所で、ともに共有した体験の記憶を。
その時空間だけにとどまるであろう、孤独ではなかったことの証明を。

ファインダーという客観的主観を通して、記憶に刻み付ける。
心も、身体も、生活も、何かの型に押し込める。
加圧。
好かれ、悪しかれ、ごくあたりまえにある光景。

鬱血と、それを吐き出す自傷と、葛藤と。
血の色は黒くなっている。
呼吸をしていないのだろうか。
それでも、いくらかは落ち着いてきたんだぜ?



久しぶりの長い休みがもらえたのだけれど。
この意にそぐわない四肢と、もどかしさばかりを感じる心と。
二つ抱えて、どうしようかと彷徨中。
 逆立ちしたって、所詮人間は人間だ。
 神様になんて到底なれやしない。
 概念だけの存在に、この欲に塗れた腐りやすい身体が、成り代わるわけがない。

 人の一生なんて、その辺の軒先で眠りこけている黒猫が見ている、ふわふわした夢のようなものだ。
 所詮は有機的で儚い塵芥から始まって、無機的な灰燼に帰するだけのものだ。
 どうせあと100年もしたら、俺のことを覚えている奴なんて誰もいなくなる。
 俺でさえ、この世にはもう、いない。



 些細なことだ、この挫折も。
 後悔も。
 そう言い聞かせて、無意識に作っていた傷跡は、肌の上に、いびつな感情を描き出していた。
 それでもすがろうとするこの身の内の浅ましい何かを、黙殺する。
 俺は誰にも何も感じちゃいない。
 誰にも何も期待をしない。

 ルーティンワークのように、刻み込む。

 「今」に心からの未練を残すようなものは、もう必要ない。
 そうやって、頑なになろうとする。

 積極的な対世界・対人消極姿勢を執る。
 いつでも、気軽に、素顔の上に一枚、また一枚。
 微笑、愛想、同情、尊敬、信頼、心配、エトセトラ。
 どの顔も俺で、そしてどれも俺ではない。



 本質を分かっている。
 お前らがいうそんな青臭いことを、俺は信じちゃいないよ。
別に、肉体的に空腹というのではない。
どちらかというとこの感覚は、精神的に感じているものである。
もちろん、飯を食わないというわけではない。
ただ、それのみに満たされる満腹感ではない、何かが満たされていない。

最近、食事をあまり摂らなくなった。
いや、きちんと食事をしなくなった。
会話らしい会話をした覚えはない。
ならいっそのこと、何も感じずにただじっとして、眠っていればいい。
昼休みに食事を抜く生活がしばらく続いている。
意外と苦ではない。
むしろ、人の間に居て食事時の和やかな空気の中で、ただ独り孤立している自分、という感覚に、耐え難いものを感じる。

ただじっと膝を折り、暗がりで1時間を耐える日々が続いている。
食事はもはや僕にとって、燃料を詰め込むだけの所作だ。
そこにゆとりなんて必要ない。
ただ身体を維持するために燃料を詰め込めば良い。
なら、必要以上に何かを口に入れようとも思うまい。
そうしているうちに、自然と食事ということに対しての執着のようなものが失せた。



気分的に何かを欲求するような時が、たまにある。
そういう時、ままヤケを起こしたかのように食物を摂ることはあるが、それで何かが癒されるということはない。
快楽神経がいかれてしまったのだろうか。
いつでも、ハラが減っている。
そんな感覚が、ある。
  
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