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 7月28日(土)13時~24時

 夏の横須賀、長浦といえば、やっぱりサビキなわけである。
 埠頭の先端で陣取り、高校時代の友人とともにコマセを巻きながら、開始して1時間ほど。

 友人の竿が、尋常でなくしなり、ラインが横に大きく引っ張られる。
 かなり走っている。
 これは明らかにシコ程度の雑魚ではない。
 ではアジが鯉のぼり状態でかかったか?
 いや、それも違う。
 右に左に大きく暴れ回る竿先をいなし、ギリギリとリールを巻き上げる。
 ごぼう抜きするにはそろそろ大きすぎるのではないかという魚体が、水面でギラリと光る。

 釣り上げたのは、サバ。
 おそらく地付きの湾内を回遊するものかと思うのだが、とにかくサバ。
 サバ?
 え、えええ、サバ??

 アジではなくて?
 サバ?

 魚屋以外でサバを見るのは初めてである。ましてや釣ったことなどこれまで一度もない。
 あまりのぬるぬるっぷりに驚くと同時に、こりゃ氷を買いに行かなまずいな、といそいそと氷の補充を。

 が、この後が修羅場である。
 絶え間なくサビキを投入していると、幾度となく続く尋常でない引き。
 サバ地獄。
 クーラーボックスの中が氷とサバとぬるぬるで満たされる。
 そこにシコイワシを入れていくのは明らかに間違いだ、もう間違いだ。
 俺らが当初予定していたアジは、一向にかからず。
 ただ、ただ、サバ。

 その後、高校の友人2人は20時ごろに納竿。で、たまたま居合わせた地元の友人と24時ごろまで釣果を狙うが、夕方以降はサバはピタリと止み、小アジがぽつぽつとかかる程度。
 やはりここ数日の天候がよく、海水温が上昇していたために、回遊するルートが変わっていたりしたのだろうか。。。それにしても、アジがまだ今年はしっかりかからないんだけどなー。

 結果、友人と3人での超過。
 サバ20~30cm程度 20尾前後
 アジ20cm程度 10尾弱
 シコイワシ コンビ二袋3つ分に山盛りww

 いや、今年は何かおかしいのかもしれない。
 久々に天候もよく、良い釣り日和でした。

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07.29 (Sun) 23:40 [ 釣行 ] CM0. TB0. TOP▲
 傷ついた人は時間に癒されるのではない。時間の中で忘却し、また無自覚な己に帰するのだ。



 忘却によって過去を清算、美化、歪曲、捏造する。
 経験過去が、いつの間にか伝聞過去調の悲劇譚に様変わりする。
 それは、恥の上塗りなのではないだろうか。
 それが私の思う、過去を忘れる、ということ。



 高校の終わり頃、些細なことである友人と仲違いし、しばらくの間まともに顔も合わせなかった時期があった。
 同級生だったその友人は、今ではおそらく私の性質を最も把握している人間のうちの一人なのだが、それでも、そんな友人と3ヶ月ほど、一言も会話を交わさなかったことがある。
 きっかけは非常に他愛のない、どうでも良いようなことだった。
 そんな些細なことに私は苛立ちを感じ、そんな私の態度に珍しく腹を立てた友人は、「じゃあ、もういい」とだけ言い残し、教室を去った。

 3ヶ月というのは、その当時ではあまりにも長い時間だった。
 一人で無為に過ごすには充分に長すぎる、茫漠とした時間だった。
 クラスの見知った知人から、
「早くどっちからでも謝ればえいのに」
 と宥められても、私は頑として折れなかった。
 もちろん、ただ単に時間が過ぎてしまって意固地になりすぎていたというのもあったのだろうが、その時の私には私なりの意地があったし、苛立つに足る正当な経緯があって、こちらから折れるのではどうあっても筋が通らないと、その時の私はそう思っていたのである。

 筋が通るとか、通らないとか。
 そういうものが人間関係よりも勝っていたというのは、ある種、自己の人間形成において貴重な時期だったから、なのかもしれないが。
 もっとも、そういうところはいまだに直っていないようにも思う。



 やたらめったらに喧嘩(というほどのモノでもないのだろうが)なんてしないので、どうしてよいものか、どう対応するべきなのか、まったく分からないのである。
 同時に、そういうことに対してムキになったり、イラついたりするのがイヤになってしまっている自分もいる。
 どうやら、心は汗をかかなくなった。
 我を押し通してまで、誰かに嫌な思いをして欲しいとは思わない。
 かといって、そう簡単に折れることもない。
 むしろ、折れない代わりに、面倒くさいことやイラつくこと、自分がムキになりそうなこと(あるいはそんな態度を自分がとりそうで、さめた瞬間にきっと馬鹿らしいと思ってしまいそうなこと)からは、いつの間にか逃げる癖がついてしまった。



 逃げるのは、嫌いだったはずなのに。
 今の私は、ただ私の沈黙によって、何もかもが過ぎ去るのを待とうとしている、臆病な自我に成り下がってしまった。
 自らの手で自らの心を緩やかに締め上げる。
 それが、孤独ということ。



 その後、高校時代のその友人とはまた数ヵ月後に復縁し、今現在も親しく付き合っている。
 その時のことはお互いに話さないが、少なくとも私はあの後にも、その当時を振り返って、もっとやりようがあったなと、歯がゆい思いをしたことはよくあった。
 結構あのタイトルセンスは好きだったりする。
 何をいうでもなく、彼の視点で始まるパートの状況を、ただ説明する。



 逃げ出した後。
 その後、一体どうしたのか?
 どうしたいのか?
 そう。何もないんだ。
 何かを守れたり、体よく身をかわしたりできたつもりでいる。
 上滑りするばかりの会話や軽口で、うまく日々をやり過ごすことはできる。
 けれど、そこにはやはり何もない。
 何かしらの尊厳なり、安寧なりが、そこで補完されるはずだったのに。



 何もない。
 いや、あるいはそれが間違いだった、と、気づく?



 逃げ出した、雨の中。
 頬を打つ梅雨の雨が心をよどませる。
 針のように冷たく刺さる雨が魂の温度を下げ、視界を、鼻先を、脳裏を、いつからか靄のようにぼんやりとした何かが、ぼんやりと覆い出す。
 糠喜びと、自己嫌悪の繰り返しに苛立ちを感じて、逃げ出した、雨の中で。
 そのうち身動きも取れなくなり、僕はそこで立ち往生してしまう。



 相手を傷つけて自分が辛くなる前に、自分から逃げ出した。



 一番冴えた、自分以外の誰にも痛みのないやり方だと思っている。
 当たり前のように、心は一寸も晴れないけれど。
  
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